はじめに
先日、「メイドインアビス 深き魂の黎明」という映画を見た。
その中で登場するボンドルドという人物がいるのだが、現代の価値観で考えれば彼は倫理観が大きく欠落した言動をとる。そんな彼を見ていてふと、倫理観ってなんだっけ?と思ったので文字に書き起こしておこうと思った。
一応最初に断っておくが、私は大学やその他教育機関で「倫理」について学んだことがある訳でもないし、本などを通して他者が説いた「倫理」を独学で学んだわけでもない。いわば「倫理素人」がこれといったソースもなしに適当に書きなぐっているだけの記事だということを最初に理解したうえで読み進めてほしい。
ボンドルドって誰?
ボンドルドは「メイドインアビス」の登場人物で、人々からは「黎明卿」と呼ばれている。アビスの謎を解明するためにはどんな犠牲もいとわず(時には自分すら被験体として利用する)、人道から大きく外れた行いをする。
例えば、
- 身寄りのない子供たちをアビスに連れて行くと約束して上昇負荷(≒死に至るほどの呪い)の実験体にする
- 綺麗な花畑を火炎放射で一掃する
- 自分の娘を死なない程度に解体して持ち運べる状態にする
などのことを平然とやってのける。(どれも一応理由あってのことだが。)
彼が恐ろしいのは、彼が”していること自体”ではなくて自分がしていることが悪いことだとは全く思っていないところだろう。
いわゆるサイコパスという人種である。
余談だが、彼への皮肉として「親子丼に親子丼という名前を最初につけそうな人」という表現を見たことがある。悪気のないところが的確に表現されていてすごく好き。
悪いことって何だろう
私の中で「倫理観」は
ものごとの善し悪しを判断するための個人的な基準
という定義がなされている。倫理観によって悪だと判断されたものを「悪いこと」とするという認識だ。
もしかしたら厳密には違うかもしれないが、今回はこの定義に則って議論を進めていきたい。
では、ボンドルドの行いは悪いことなのだろうか。
とりあえず、最も身近な存在である私自身の倫理観で考えてみる。私はナナチやミーティ、被験体にされた子供たち、彼に苦しめられた人や物のことを「かわいそう」だと思った。どうやら、私の倫理観”フィルター”を通してみたボンドルドの行いは「悪いこと」らしい。
では、作中に登場する人物であるリコやレグ、ナナチはどうだろうか。他人の倫理観を推し量るのは難しいが、少なくとも彼らはボンドルドのことを「度し難い」などと嫌悪していたように感じられた。おそらく彼らの目に映るボンドルドの行いは「悪いこと」だったのだろう。
さて、ここまで2つの別世界で生きる者の倫理観ではボンドルドの行いは「悪いこと」とされたわけだが、多数決によって彼の行いは「悪いこと」と結論付けていいだろうか。
「答えはNoだ」
などと高らかに宣言したいところだが、正直なところ結論はどちらでも良い。本題はそこではない。
本当にボンドルドのしたことは悪いことなのか
ボンドルドがした実験によって被験体となった子供たちの中には死ぬよりも大きな苦痛を与えられ、死ぬことも許されず生かされ続けている者がいる。これが私たちの倫理観を刺激する最も大きな要因だと考える。
これを分かりやすいように私たちの身近な表現に置き換えると
「動物を食べるために殺す際に必要以上に痛めつける」
という表現ができる。
身近な表現かは定かではないが、幾ばくか考えやすくなったかもしれないし他の例を考えてみるのは悪いことではないと信じて議論を進めていこう。
なるほど、上の二つの例はどちらも「かわいそう」だ。そして多分これらの行いは「悪いこと」であると思われる。
他の例について考えてみたい。
「メイドインアビス」の話に登場したクオンガタリという虫の生態について考えてみる。クオンガタリは他の動物に寄生して繁殖する。寄生の仕方が特徴的で、目や体を喰らって体の自由を奪うが完全に殺しはせず、長い期間寄生できるように寄生した生物に自らを食わせて生き永らえさせる。詳しく知りたい方はメイドインアビスの原作か映画を見てもらうとして、映画を見た私のクオンガタリの生態への印象は「ムゴイ」とか寄生されている人が「かわいそう」とかだった。
しかし、私はそれが「悪いこと」だとは一切思わなかった。おそらくそれが「悪いこと」だと思う人は少ないのではないかと思う。なぜなら、それはクオンガタリが種を繁栄させるために行ったことであるからである。決して命を無下に扱うことを理由としたものではない。結果として「ムゴイ」ことに成ってはいるのだが。
では最初に戻って、ボンドルドの行いについて考えてみよう。彼はアビスの謎の解明のためにたくさんの人々の命を犠牲にした。しかも前述のとおりただ殺すのではなく必要以上の苦しみを与えている。
しかし、犠牲の甲斐あってボンドルドはアビスの謎の多くを解き明かしている。この情報は多くの探窟家たちの助けになることは間違いないだろう。探窟家たちがアビスで動きやすくなれば、とんでもない力を持った遺物を持ち帰ることに成功し、人類がさらなる発展を遂げる手助けになるかもしれない。
ボンドルドは人類への貢献を目的の一つとして研究を行っており、事実彼の人類への貢献は計り知れないものだろう。
もうお気付きかもしれないが、ボンドルドの行いはクオンガタリの”それ”と殆ど同じ構造をしているのである。犠牲になったものは「かわいそう」だし「ムゴイ」が、動機は種の繁栄を思ってのことである。
そんな風に考えると、ボンドルドの行いは「悪いこと」ではないのかもしれないと思えてくる。
こんなことを言うと、もしかしたらこんな反論をする人がいるかもしれない。
「人間と動物を同一視するのはおかしいし、何よりも自分以外を犠牲にしていることに嫌悪感を抱く」
だが私は、人間と動物を違うものだと捉えるのは傲慢だと思っている。確かに人間は世界に及ぼす影響は他の生物よりは大きいかもしれないが、それは人間が進化の過程で高い知能を身に着けてきた結果だし、それらもすべてひっくるめた上で自然なのである。人間とクオンガタリという種族の違いはあっても同一視されるべきである。
そして何より彼は研究のためであれば自らを犠牲にすることすら厭わない。実際彼は自らの命を犠牲にすることで白笛を作り出すことに成功している。たまたま被験体が他人だっただけなのである。
倫理観は相当危うい存在
このように順序立てて考えてみると、ボンドルドの行いは「悪いこと」ではないと結論付けたくなる。
それに対して私(たち)の心が直感的に出した答えは「No」でやっぱり嫌悪感を抱かざるを得ないのである。
私はこの直感こそが「倫理観」の正体であると考えている。この直感は周りの環境に大きく影響されうるもので変動しうるものである。時代によっても、国によっても「倫理観」は違っているだろうし、これからもどんどん変わっていくのだと思う。
もしかしたら明日には世界は変わっていて、牛乳は人間のための飲み物じゃないから飲むのはよくないという人たちで溢れかえりスーパーで牛乳が買えなくなるかもしれないし、漫画は子供の教育によくないからといってすべての漫画がR18指定を受けてしまうかもしれない。
流石に極端すぎるかもしれないが、それだけ倫理観は危うい存在なのである。だから「倫理的によくない」とかいう曖昧な理由で物事を片付けるのはとても危ういことだと思う。
倫理的に~とかいう言葉を使いたくなる気持ちは非常によく分かる。だが、なぜそのように考えたのか、直感としてではなくきちんと説明できるような理由を常日頃から意識していきたいものである。
そして倫理観についてより深く考えるためにもメイドインアビスの映画を見よう。